そんなにしてまで

恒例のノーベル賞の時期が来る。勿論、日本人受賞者に期待しているが、一般人には誰が候補に
上がっているかなどは知らないし、開けてビックリを期待するのがほとんどだろう。
しかし、隣国は違う。過去のノーベル賞受賞者の履歴を様々な角度から分析し、論文の引用数の多さから
とらぬ狸の胸算用よろしく、数名を勝手に挙げて、かつ予防線として国内の研究機関に勤務する外国人
研究者さえも候補に挙げ、なんとかして韓国がらみで受賞を妄想している。
しかし、この毎年毎年の皮算用なんなのか。受賞者があれば国の格が上がると錯覚しているが、基礎研究
の充実度が証明されるだけで、国の格は関係ないことにいつ気がつくのだろうか。
地味な日々の研究活動の不足を顧みることなく、華々しい成果を挙げたものが受賞すると妄想している。
多分、日本が羨ましくてしょうがないのだろう、裏を返せば完全に日本に対するコンプレックスの発露
に過ぎない。そのコンプレックスを解消するためには、何が何でも賞が欲しく、仮に受賞者が出たら出たで
今度は受賞者数で日本にコンプレックスを抱くだけであろう、すなわち未来永劫日本に追いつくすべはなく
未来永劫反日思想が続くのだろう。福沢諭吉の『脱亜入欧』ではないが、表面上の付き合いに徹底し無視するのが
日本にとり、最善の策ではないだろうか。

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