一見、常識的に聞こえるが

やはり出てきたな、ウクライナは無駄な国民の死を避けるために、降伏すべきだ論がだ。口を開けば人のイノチは地球より重い云々と小賢しい意見がまかり通る日本だが、先の戦争の本当の総括もないまま、今に至る日本。国家、民族、それに伴う文化を守るといえば、即、右翼だと非難轟々。軍部がバカだから、政治家が能力がなかっかたらと他人に批判を向けるのは得意だが、その軍部、政治家を支えてきたのは国民であろう。国民総懺悔というのは、無責任極まりない。本当の原因、戦略全てが曖昧のまま今に至るわけだが、その中で、無駄死にという考えがよく言われる。イノチさえあればというが、そのイノチに生命、尊厳は残されているのか?少なくとも国に奉仕するとか、守るという考えが日本では放棄されて久しい。しかしその日本が捨てた気概を今に発揮しているのがウクライナではないのか?共産主義という似非宗教に縛られ、ながらくソ連に隷属してきた国々がその圧政から逃れ、混乱の中でもこれからに希望を見出していた矢先のプーチンの侵略。これに激しく抵抗し、死を迎えるのに何が無駄死にか。彼らはイノチに尊厳をかけている。

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