今こそ、公共投資

飛行機から、下の日本列島を見ると、海辺近くまで、山並みが迫り、ほんのお情けで海沿いに人が住んでいるのがよくわかる。山並みといっても全部が全部急峻な山でもなく、高低差はあるにしろ平野部もあり、そこには無数の河川がくねくねと走り、日本は水が豊かなんだと実感する。しかしこの水が曲者で、大昔から治水対策がこの日本民族に課せられた最大の重荷でもある。降り注ぐ雨は手入れされた土壌の山肌に吸収され、樹々が水を蓄え少しずつ下流へ流す自然の循環があるが、最近の降雨はこんな自然の循環をものともしない。地球環境が激変していると識者は言うが、何億年の長さで地球の移り変わりをみると、やぶ蚊に刺された痒みくらいなものだろう。人間はその細腕で自然の災害に立ち向かってきたが、このところ負け越しである。

公共投資、この言葉が悪の代名詞に使われ始めたのはいつ頃の事だろう。公共投資、土木事業、政治家、利権 このセットで国民におもねり、『コンクリートから人へ』と綺麗事を並べた政党があったが、どこへいったやら。国民に受けの良い「公共投資◯割削減」で既存の地方の土木建築会社はすべからく淘汰され、東京オリンピックだ、除染対策だと人不足を招いた。そこに今回の九州地区の水害。ボランティアと言うが、彼らの技量では後片付けがせいぜい。復興の一助ではあるが、再建のチカラには程遠い。植林、間伐材の処理、河川の修復、治水、治山対策は国家百年の計であり、脆弱な日本の国土は絶え間ない手入れが必要。利権を貪る輩にはそれなりの対策が必要だが、国土保全の司令塔の確立が急務ではないか?縦割り行政の弊害は耳にたこができるほど聞き飽きているが、山から河川、海と連なる一連の行政を司る組織が今更ではあるが必要である。土建屋と侮るなかれ、彼らが機能しない限り、国土は荒れ放題となる。韓半島の禿山、大陸の砂漠化をみれば、一目瞭然。いくら社会保障対策が充実されても、住む家がこれでは。今ある利権から切り離される輩からはもっともらしい反発(いわゆる利権政治の復活、自然破壊)がマスコミが便乗し起こるだろうが、志を持った政治家の登場が待ち遠しい。

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