再び水田水脈氏

戦国時代、衆道という言葉があり、おおっぴらではないが暗黙の習慣として定着していたと理解している。多くの勇猛果敢な武将の恋文などもあり、周囲が気を遣い、それなりの対処をしていたのだろう。しかし公然たる習慣の位置にはなかった。当事者もそれなりに世間の常識とかけ離れていたことは理解しつつ、嗜好の問題として収まるところに収まっていた。水田氏の問いかけは、そっとしておけばそれなりに住める世界を何故に公的に認め行政が関与するのかという問題の投げかけであり、間違っているわけではない。ローマ字で仰々しくLGBTなどと命名し居直った権利主張には辟易する。性心理学の発展とともに、単なる嗜好の問題から心理的、肉体的な一つの症例としてTransgenderなるものが様々な情報媒体で世間は知りつつあるが、大方は目を背けるのが現状。しかしこれの偏見を正すのは行政の仕事として積極的に取り組むべきである。しかし水田氏の寄稿に対し、拡大解釈で一部有名人が声をあげ、野党、マスコミが水田氏叩き→自民党叩き→安倍総理批判とミソもクソも一緒の議論に仕立てたのが現状。本来ならば正確な論旨を明確にし議論すべきだが、安倍打倒に社是の朝日には馬の耳に念佛。所詮、1か2の結論ばかり求めたがる国民には理解しろと言っても無理かな。

 

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