朝には紅顔ありて

人の世はまさか、まさかの連続。西日本の災害、ついさっきまではとの悲劇が又々。東日本大震災と同じ、残された身内には神も仏もの気持ちだろう。蓮如上人の有名な御文から

【白骨の御文章 現代仮名遣い文】

それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず、一生すぎやすし。今に至って誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露よりも繁しと言えり。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)あって夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまって嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送って夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎(おろか)なり。されば、人間の儚き事は、老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏と深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。(引用:wikipedia)

無情ってことか?

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