殺生

お盆が来るたび、一年過ぎたと新年よりも感じる。道端には蝉の死骸が目立つ。短い一生と思うのは人間の勝手であるが、いつの頃からか、道端に落ちている蝉を見かけるたび、それを拾い土のあるところに置くようになった。なにもコンクリート、アスファルトを死の床とすることもあるまいと。幼少の頃、虫取り網で蝉を捕まえ、虫籠に入れ何の手当もせず死なせてしまったこと数知れず。近くの家のニワトリ小屋に放り込み、羽以外を貪欲に食べ尽くすのを見ていた。子供とはいえ、残酷なことであった。人間生きていれば様々な殺生を繰り返している。意識して殺生することもあれば、無意識に歩いている靴の下で様々な虫たちを踏み殺している。宗教心には無自覚であるが、一つ一つ一刹那の命を思う気持ちは歳と共に強くなっている気がする。何も善行をしている気はないが。しかし矛盾した話だが、国会で好き勝手な屁理屈を並べ正義漢ぶる輩、ただただ反対のマスコミにはさらなる大きな鉄製の下駄で踏みつけたいと思うのはおかしいだろうか。

 

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