みなさん皆お勉強家で

バスを待つ間、バスの車内、鉄道の駅へ歩きながら、ホームで電車を待つ間、電車車内で、昼休み定食屋の行列も食事中も片時もスマートホフォンの画面を見続ける。なにをそんなに夢中になってるんだろうか、そんなにも情報が欲しいんだろうか、朝晩の新聞、TV報道でほとんどの世の中の動きは判るはずなのになあ。

ふるさと減税

不勉強の指摘には反論できないが、その名の通り、遠く故郷を離れ就職し、少し余裕はできたが、寄付する篤志家までには至らないが、疲弊する地方、ましてや長年慣れ親しんだ故郷に少しでもお返しができればと考え、ふるさと減税なるものであれば寄与できるかと考えていたが、どうも違うらしい。寄付の一種として所得控除の対象になると聞き、これはまあいいとしよう。ところが寄付先から土産が来るとはやりすぎだろうと思っていたら、その土産たるや地方の細々とした土産どころか、牛肉やら家電製品やらなんのための寄付かと考えてしまう。さらには土産の優劣を調べたブログから、はたまた取り次ぐ輩(当然手数料が入る)まで現れる始末。仮に十万円を寄付したとしよう、受け取りの事務手続きやら礼状まで公務員が絡む話なので経費が発生するわけで、実際の寄付額は十万円を下回るのは容認できるが、土産代やら口利き業者への手数料やらなにおかいわんや。そのせいか、出身母体でもない、高級土産の地方に殺到する始末。こんなせこい寄付行為の制度なんかやめてしまえ。

 

あと三日

わずかの米と洗剤につられ家人が某朝日新聞を購読してはや半年、ようやく目出度く契約終了とともに購読が終わる。以前にも不定期に勧誘員の釣り言葉に購読したことがあるが、偏った紙面に拍車がかかっている。記事の一つ一つを取り上げないが、他紙では取り上げない記事が、少しでも政府、内閣が絡むといっぱしの記事となる。それが果たして紙面に掲載し全国の読者に提供する内容かと疑問に思うことが多々。まともに批判出来ないときは、皮肉たっぷりと。世の中全て斜めに見るこの精神構造、まともではない。隣国が昔話を常に暗唱するように朝日も繰り返し同じ繰り言を毎回毎回。これ連日読まされている読者は、気づかぬままに洗脳されているのだろう。

何様?

南青山に建設予定の児童相談所施設をめぐり、反対の声が上がっているが、これは単なる住民のエゴである。その反対理由が聞くに耐えないことおびただしい。土地の価格が下がる、レストランの値段がこれこれの界隈に住むのは不自然、当然相談所から近くの公立の学校へ通学するのだが、馴染めないのではないのか?休日、家族で外食する風景を目にするだろうが、いたたまれない気持ちになるのではないのか?イヤイヤとにかく反対理由のネタにこじつけも甚だしい。大きなお世話である。南青山のブランド価値が下がるだと?馬鹿め、こんな屁理屈を並べる住民がいることがはっきりしてそれがブランド価値を下げたことにも気づかない。いつから日本にもこんなへそ曲がりの住民が増えたんだ?何様のつもりだか。なんかこの屁理屈論法、どこかの野党を連想するんだが、妄想かな。

 

 

力技

決められた時間で論戦を交わし、定められた規則に従い決定していく、これを朝日はお得意の人様の語り口で『力技で』と表現する『裏技』。辺野古を含む国政をあたかも与党が無理やり力技で突っ切ったと言う。理屈でかなわなければ、次は情処に訴えますか、そうですか。しかし政府与党の投げかけた法案に対し、野党は真面目に研究し、根拠を明確に反論したことはあっただろうか、否。相手の言い分を聞く気があれば、説明責任を果たしていないだの十分な審議を尽くしていない等の与太話はありえない。自分の意見に組しなければ拒否するばかりの野党に大方の国民はうんざりしている。しかし身びいきの支持者の意見が社会全体の意見と勘違いしている限り、政権を獲ることはありえないことが理解できないらしい、しかしこれは日本としては幸いなことかもしれない。どうかこのまま勘違い、能力不足の野党でいることを切に望む。

妊婦加算

妊娠した女性が医療機関にかかった場合、通常の女性患者とちがい、診療時、特別配慮する必要があり、そのための医療従事者への手間賃だとか。馬鹿な話よ、少子化をすこしでも防ごうとの世論の前に、厚生労働省の官僚が考えることは非常識。通達が行われる前に、誰もこの非常識さを指摘しなかったのか?訳知り顔の若手政治家が問題として取り上げたようだが、全体でいくら医療従事者の報酬アップになると考えたのか、微々たるものだろう。そんなことより、生命の尊厳という美名のもとに無駄な診療行為、無駄な施薬、無駄な延命治療を根本的に考え、診療報酬の引き上げを考えるべきではないのか?タブーとされる高齢者の延命治療に勇気を持って立ち向かう時代ではないのか?おそらく公開の面前で取り上げると非難ごうごうだろう。これに立ち向かう政治家はいないのか?どうかね小泉議員よ。

 

法律家の頭の中を見たい

東名高速のあおり運転の裁判が始まった。問題は走行中を想定した危険運転致死罪が適用できるかが、争点らしい。法律の文面を詳細にみると、法律の定めるところには該当しないと弁護側は主張。法律は所詮、人間が作ったもの。あいまいな定義は駄目で、一字一句縛りをかけているらしいが、人間のやること、事件の詳細は千差万別でありそれを法律で網羅するのは限界であろう。恣意的な法律の執行を避けるためにも必要なことだろうが、もうすこし遊びがあってもいいのではないか。状況を正確に判断し世間の常識に照らした法解釈をする裁判官ならいいが、杓子定規にこだわる法律家にゆだねるのは、本来は犯罪防止のための法律がネジまがった適用にならないか、気になるところ。