どのクチが言う?

組織を腐らせるのは、トップの問題と安倍首相をこき下ろす小沢議員、チャーント自覚してるのはさすが。ところで、足元の国民党を分裂させたのはダレのせいかな?

お為ごかし

野党は安倍首相の体調を説明しろと、その理由として

立民の安住淳国対委員長は会談後、記者団に「体調が万全でなければ野党としても十分配慮しなければならない。元気になられた首相と一日も早く論戦をしたい」と述べた。ばかか?政治家が自分の体調を言うわけがなかろうが。何が不調ならば野党として十分配慮だと?仮に正直に「少し具合が悪い」なんて言おうものなら、国政運営に支障が出るから即退陣し、野党に政権を譲るべきだと総攻撃をすることは見え見え、余計具合が悪くなる。論戦というが、野党は本気で政策論戦なんてしたことないだろう?言葉尻を捉え、モリカケに明け暮れ、碌な対案もないくせにコロナ云々と、挙句はクイズまがいなどうでもいいことに終始、論戦がきいて呆れるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

無駄とは言わないが

主としてスーパーで買い物しても買い物袋を無料ではくれなくなった。プラスティックゴミによる環境汚染を削減しようとの大義名分のもと。しかし、買い物袋による環境汚染はいかほどのものなのか。微々たるものだろう。それよりも身の回りを見たらわかるが、台所用品を始めいたるところにプラスティック製品は氾濫している。ご飯ベラにしても木よりもプラスティック、家電製品を購入すれば緩衝材としてなんと多くのプラスティック製品が使われていることか。安易な規制対象はなんの効果も産まないだろう。現に家庭ゴミを外に出すとき、百円ショップでわざわざプラスティック袋を購入してるんだから。

 

向き合う準備

韓国の大統領、「日本と向き合う準備はできている」と発言したが、うまくニュアンスを翻訳できたのか疑問はあるが、ここ部分だけ見れば、『さあ、日本よ準備はできた、いつでもかかってこい』と解釈すれば、随分な自信だなと思う。しかしこの自信、どこから来るのだろう。何か勘違いしている。国政であらゆるポストを与党が占め、怖いもの無しの状態だが、それはあくまでも韓国国内の話。対外的には「それがどうした」で済む話に過ぎない。過去の経験から日本が国の根本を揺さぶる振る舞いには出まいとの読みなんだろうか。そうであればいいが、日本も変わったからなあ、それをどこまで読んでいるやら。

 

空演説

こういうのを誠意の感じられない演説と言うんだろう。外に対しては三権分立を言うのはいいが、中では何をしているか皆判っている。交渉の窓はいつでも空いてる?それは交渉とは言わない、韓国の場合は。一昔前なら『大人の対応』として応じたかも知らないが、目覚めた今の日本には通用しない。しかし、韓国の大統領がせっかく呼びかけたんだからと政府を突っつく◯鹿がいるからな、河村あたりが。

交渉の窓はいつでも空いてると書いたが、本当は開いてるだろうなあ、しかし韓国相手には空いてるがぴったりか。

安心

またまた出しゃばりが動き出した。小沢である。名のある政治家で何かの政策実現に奔走したと関係者の間で噂されることはあるが、小沢ほど政界をかき回すだけの人間はいないのではないか?しかも一兵卒の身分で。しかし策士策に溺れるの類で、先々は破壊しかない。いっ時は雰囲気に流される烏合の衆の常で、小さな成果は残すが、それっきり。朝日新聞のキャンペーンの逆張りをすれば間違いが少ないと経験則でわかっている、沈黙する小沢は気持ち悪いが、新党騒動の中で蠢動したことは、我が国にとり、朗報であろう。

 

リベラル仕草

あるマスコミのコラムで面白い表現があり感心した。『リベラル仕草』と言う表現である。一見リベラル風な主張だが、単なる見せかけのポーズということである。香港の民主化を主張している周庭氏の逮捕にさいし、屁っ放り腰で当局を避難し、あたかも自由、民主主義を擁護しているようなポーズをとりながら、大元の中国への非難は避けて、安倍内閣を非難しているこの仕草。陸上競技のハードル競技で、最初のハードルを飛びこえ、当然次のハードルへ向かうと思いきや急に着地点を変え、別な走路へ走りこむ、当然失格であるが、リベラル仕草実行者は御構い無し、第二ハードルの中国を回避し、第三ハードルの安倍内閣へまっしぐら。なんだこのインチキは。肝心の中国の無法さは無視し、安倍内閣の権力行使を妄想逞しく非難する。こんな輩に日本の政治を語って欲しくない。

山口二郎

広島、長崎における発言を聞くと、今の安倍首相からは人間としての羞恥、悲哀、同情、共感といった要素が一切消去されているように思える。まさに、権力者の抜け殻。これは山口教授のツイッター。

ではこれを書き換えてみようか。

山口氏の発言を聞くと、人間としての羞恥、悲哀、同情、共感といった要素が一切消去されているように思える。まさに、思想に没入の廃人。

多様性?

いつからだ?マスコミに盛んに多様性って言葉が現れたのは、ここ数年じゃないのか?私の理解としては、人それぞれ、危害が加えられない限り、互いの存在は認めようと言うことかな。自営業、サラリーマン、公務員、中小企業の従業員、果ては分類に悩むフリーランス。武漢ウイルス災害で年金生活者、公務員、大手のサラリーマン以外はみんな経済的に困窮の度を深めており、特にフリーランスの立場の人間が一番困ってるんじゃないかな?似非評論家は口では多様性の重要性を唱えながら、なんの助けにもなりゃしない。政府も同じようなもんだ。国民の多様性を認めるなら、最低限の生活保障をしてもいいんじゃないか?補助金支給に訳のわからない政商に莫大な手数料を払い、しかも仕事が遅い。これでは野党がなんの苦労もせず、政府の自爆で果実にありつけるチャンス到来となるんじゃないか?